寂しさをモノで埋める生活はやめにした。 -〔読了〕シンプルを極める-
『シンプルを極める』ドミニック・ローホー(著)原秋子(翻訳)を読んだ。
所有物を少なくするメリットが書かれている。部屋を片付けたいがどうしていいか分からない人、断捨離したいけどなかなか一歩を踏み出せない人におすすめの一冊。
毎度のように書いているが、本との縁は不思議である。偶然ではないように感じる。
僕は今、断捨離中だ。
それなりに価値があり、いつか売ろうと思いながらも、ひどく面倒で放置していたモノ。それを思い切って捨てた。お金のためにお金を稼ぐタイプ(そこに美学や哲学はない)の仕事で仕入れた商品の在庫だ。仕事への熱はすっかり冷めてしまっており、一年程前に引退していた。しかし、その在庫の価値を知っているため、なかなか捨てられずにいた。
それをついさっき、黒いごみ袋に包み、パッケージが視界に入らない様にして捨てた。同時に、「いつか売らなければ」という焦りの気持ちも、ゴミ箱の中へ消えていった。今日、僕は、あの重苦しい「売らなければ」から解放され、やっと引退できたのだ。
断捨離を終える頃には、思考回路もすっきりシンプルになればいい。
冷静に見つめたら、そこはゴミの山だった。
いつの間にか。僕の部屋の衣装ケースの前にはさらなる服の山ができ、仕入れた商品でクローゼットの扉が閉まらなくなり、収納ケースはガラクタが引っかかって開かない、床は大小様々な鞄や空き箱で散らかり、壁際は梱包材の山ができている。そんな状況になっていた。
この部屋は、過去の些細な思い出と未練、未来への小さな不安でぎゅうぎゅうだ。あれもこれも思い出と結びつけては溜め込んでいた。先で使うことになるかもしれない、売る機会があるかもしれないと、ただのゴミを自分だけにわかる宝物のように取っていた。
捨てながら自分を発見していく楽しみ。
なぜ、僕は今まで捨てようとしなかったのだろう。その理由は大きく分けて3つある。
1.モノで自分の不完全さを補おうとしていた。
2.モノに依存し、心の空白を埋めようとしていた。
3.モノの価値をお金に置き換えていた=金銭的価値に対する未練。
1、2については、なりたい自分(願望)に現実を合わせようとしていたことが原因。当然、そんなことをしたら無理が生じてしまう。その無理を何とかしようと、現実で足りてない部分を無意識にモノで補おうとしていた。これは自分に嘘をついている不健全な状態である。その不健全な状態でも自分を保つため、さらにモノへ依存するという悪循環が、服とガラクタの山を築いていた。
3のせいでクローゼットからモノ(前述の商品)が溢れた。モノの価値とは、自分に必要かそうでないかで決まるもの。買い手がつけば金銭的に価値がある商品だとしても、その中身は残念ながら、僕の生活には全く必要のないものであった。
不必要なモノは"今"を生きることの邪魔をする。
自分に纏わりつく過去と、将来への不安を削ぎ落としたい。
過去に決別したと言うのは口だけだったことに気づくと、過去を彷彿させるモノに嫌悪感すら覚えるようになった。不安を解消する為に溜め込んでいたモノは、ゴミにしか見えなくなった。
資本主義的な意味での贅沢ではなく、心を穏やかに保つための贅沢をしたい。モノの呪縛から解き放たれた、自由で上質な時間を味わいたい。理想の自分ではなく、ありのままの自分を大切にしたい。
きっかけはメンターさん。
勝手にメンター(心の師)認定をさせてもらい、ツイートを拝見している三月京介さんのプロフィール。
twitter.com
クールすぎる。この"シンプルっていいな"が断捨離を始めたきっかけ。"いいな"が、"どうして僕の部屋は物で溢れているんだろう?"に繋がり、この本に出会って答えが見えてきた。
モノを捨てることは、心を雁字搦めにしている執着心を捨て、自己を解放する為のファーストステップだ。身の周りをシンプルにして、自分のコアを可視化しよう。残ったモノが僕のコアだ。
モノを通して自分と向き合い、見つめ直し、これからは良い歳の取り方をしたい。
まずは、一番ゴミに近いであろうモノ(使えない、使わないモノ)を捨てている。一通り終わったら、次は、必要なモノを残す(些細な思い出や愛着を捨てる)作業に入ろう。
- 作者: ドミニック・ローホー,原秋子
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2011/02/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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おしまい。