僕の読書のーと - 思考を収穫せよ! -

能動的な読書。生き方・人生の視点で本を読んでいます。

天才は経験をどのように捉えるか - 〔読了〕直感力

直感力 (PHP新書)

直感とは、自分の経験をベースにした一瞬の判断のこと。決断が脳経由の反射だとしたら、直感は脊椎反射みたいなもの。
ベースとなる経験が成功か失敗かは関係ない。分析と反省のプロセスを経ることで両方とも大切な要素となる。
苦しい経験やつらい経験を含めて、日々積み重ねている経験の一つ一つを信じることが、直感の回路を作り上げていく。これが身に付くということなのかもしれない。何気ない事、無意識にしていることも直感のヒントになる。無駄なことは何一つない、これは最高のポジティブだ。


不調という経験

不調なときも集中力を維持し、上手くいかない状態を敢えて意識する。不調なときにどう戦うかという経験にしてしまうのだ。
どんな経験、場面も無駄にしない。マイナスな状況も、それを経験として受け入れ、学びに変えていくことを忘れない。追い詰められた状況になるとつい忘れてしまうが、メンタルの修行や対応力を高める訓練だと考えればよい。
スランプも学びの機会だ。なぜ行き詰っているのかを考えて、課題を見つけられるか。それがスランプから抜け出すポイントになる。
スランプとは修正すべき大きな問題を抱えている状態である。だから、勝つこと、上手くやることよりも、考え、もがくことの方が本質を得た解決策だと言える。


結果とは"何を経験したか"

結果の捉え方は自分なりでいい。勝ち負け、他人からの評価で結果の良し悪しを決めない。得られるものが多い経験をしたなら、それが良い結果である。
また、結果に関しては、予想外のことが起こると運のせいにしたくなる。しかし、その結果にはちゃんとした理由があるので、なぜそうなったのかを考えるようするとよい。地力をつければ避けられる不運があることもわかるはずだ。


過去に甘えない

培ってきたものは寄りどころになる。しかし、それに執着しない方がよい。培ってきたものに加え、時代の流れを取り入れることで、オリジナルを更新し続けよう。
培ってきたものを核にして、それを貫き通すことは大切である(時に勝負より大切になることがある)が、核にするということは、成長を止めるという意味ではない。核の周りは新しい知識で保護しなければ、簡単に壊れてしまう。


諦めの判断

このくらいの努力をしたら、このくらいの成果が得られるという感覚を掴む。何かに取り組む時、先の見えない不安が軽減されるし、見切りをつけるタイミングが分かってくる(無駄な方向へ努力しなくて済む)。
何かを諦める決断をしたとしても、得た経験は次に活かせるから、違和感を感じたら思い切って諦めてみる。諦める≠ゼロになる


苦しい経験

自分で苦しみながら見つけた、自分なりの方法がオリジナリティ(個性)。その発見に他人の口出しは無用。口を出して発見"させて"しまうと、それはオリジナルではなくなってしまう。苦しみもがき、その先の何かを自分で発見することで、個性が創られていく。


今の僕にできること

本を読むようになってから、天才と呼ばれるような凄い人って結果や経験の捉え方が違うよな、と考えるようになった。勝ちと負け、点数、他人からの評価、そういう表面的なものに執着していない。自分が感じたこと、自分で見たもの、自分のアクションに対する相手の反応など、勝負の内容から強くなるためのエッセンスを吸収している。結果までの細かいプロセスが努力の方向を決めている感じだ。
僕は今、精神的に苦しく神経が張り詰めていて、油断すると最悪な選択をしそうなくらいに追い詰められている。3~4ヵ月に一度くらいの頻度で、心の中の何かが臨界に達し、ひどく落ち込む。
この苦しみは、避けられないものだと感じている。辛いけど一生付き合っていかなきゃいけない性格のような気がする。最初こそ驚いて何も手に付かなくなったが、5年を過ぎた頃から何となく悟り始めた。
症状を薬で抑えながらの休養に加えて、そういう時をどうやり過ごすか考える時期が来ているのだろう。辛い時に何ができて、何が負担になっているのかを書き出す。負担になっていることは元気になってからやればいいのか、工夫してでもやった方がいいのか、じゃあどういった工夫をしようか、といった具合に。



直感力 (PHP新書)

直感力 (PHP新書)


おしまい。

〔引用RT〕ツイッターでの収穫 1/29~2/24

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ルールを守れていない

自分が決めたルールを全然守れていない。
ルールが厳し過ぎたのか、僕の怠慢か。
たった2週間程度の運用でルールを決めてしまったのがいけなかったのか。3日坊主ならず3週間坊主だったのか。
辞める気はない。ルールと僕、どちらに問題があるのかを確かめなければ。これが所謂、PDCAを回すという行為なのだろう。


引用RT 1/21~2/24



おしまい。

『偽悪のすすめ』からの収穫

偽悪のすすめ 嫌われることが怖くなくなる生き方 (講談社+α新書)
組織の力に頼らず生きる。組織に属することが性格的に無理な人って、意外と多いのかもしれない。人と慣れ合うことが苦手な僕もその一人なのだが、人に合わせなきゃと考える癖がなかなか抜けない。中途半端なんだよな。
坂上忍さん『偽悪のすすめ』からの収穫。


お金と時間の使い方

必要なことには惜しまず(全財産すらも賭ける)、必要ないものには徹底的にケチ(たとえ100円でも払わない)。貧乏は嘆かず、活きる金と無駄な金の違いを学ぶ機会にするといい。
人生において、お金の使い方と同じくらい大切なのが時間の使い方。この2つについて考えれば、自分の人生を見直すことができ、向上させることも可能。
両方とも、本当に必要なものと必要なことに使う。それが何かを考える。効率を重視してみたら見つけやすいかもしれない。


自分を持て

何かや誰かに合わせるということは、自分を見失う原因になる。流行を追いかけたり、憧れの人の真似ばっかしてていいの?
コンプレックスがあっても、それを活かせる攻略法が必ずある。まずは実戦経験を積んで、コンプレックスを活かせる場面の手応えを感じよう。失敗しても、失うものなんて実はそんなにない。失うものって具体的にどんなもの?そんなに大事?考えてみて。
コンプレックス=他人と違うから悩んでいるもの。もうそれだけで個性、他の人にはない強みだ。"自分"で勝負していく場合、他人と違うということが強い武器になることを知ろう。
自分を高めるためには競争が必要。競い合う中で、人よりもできることとできないことがわかる。それが自信や個性発見の手がかりになる。
堂々としてる人っていうのは、自分の弱さが強さになるって気づいてる人なのかもしれない。


突き抜けろ

常識に囚われないこと、これは絶対。突き抜ければ、世間が自分に付いてくる。だから常識なんて関係ない。どこの業界でも言えること。"自分"で勝負したいなら常識に挑み続けろ。最後まで貫き通せば、それが新しい常識となり、自分の存在自体に価値が生まれる。
持つべき覚悟は批判される覚悟。でも、批判されることはマイナスなことばかりじゃない。批判されることによって新しい味方ができ、居場所が得られるというプラスな面も秘めている。
覚悟が決まったら思い切りやる。誰が見てもわかるくらいにはっきりやる。中途半端にやらない。安全圏でやろうとしてるうちは、突き抜けることができない。
自分の考えは"本気"に乗せて、執拗に伝えていくこと。聞いてもらえなくても諦めない。言い続けていれば、逆に「他にも聞かせて下さい」と求められる日が来る。


僕の課題

取るに足らない自分をもっと曝け出さなければいけない。本気を出すということは、恥とプライドを捨てるということだ。
他にも捨てていいものはたくさんある。基本的に、信念以外は捨てても大丈夫だから整理しよう。すっきりしたら、もっと大きな別の物が返ってくるかもしれない。
歳をとればとるほど、内面のカッコ良さが重視される。それは、言ってることとやってること、その結果に筋が通っている状態のことなのかな。
ネットもリアルも基本ブラックだという心構え。生ぬるい場所へ行きたがる自分を叱咤しないと。
人目を気にした時点で負けだ。読みたいもの読んで、書きたいこと書いて。そのうち必ず上手くなる。
一人が好きな自分をどう活かすか考えよう。



おしまい。

〔web読書〕三浦崇宏さんの人脈論

R25『“人脈”なんて言葉を使ってるヤツはクソ。#三浦崇宏の人脈論』からの収穫。
三浦さんの人脈論は僕の読書観と似ている。
r25.jp

本との出会いに無駄なものはない

僕は本を選ぶとき、直感を大切にしている。背表紙を見て、「あ、読みたい」と感じた本を手に取る。図書館で本を選んでいたときからこのやり方だ。本から呼ばれる、誘われる、選ばれるという感覚。
本との出会いに無駄はないという考えなので、そういう感覚的なものを重視している。自分の直感を信じる訓練にもなっている。


だから立ち読みはしない

立ち読みをしたくなった本(=内容を確認したくなった本)は、まだ読むべき本ではないという判断になる。そういう本を買ったとしても、内容が頭に入ってこなかったり、本から拒絶されているような感じがするからだ。一応は読み終えるのだが、読みこなすことができない。
しかし、5年後10年後にふと読みたくなって開いたら、スッと頭に入ってくる経験を何度かしている。だから、表紙や帯を見てなんとなく不安を覚えたら、読まずにそのまま戻している。読むべき時が来たら読みたい本としてまた再会するだろう。本との縁はそういうものだと思っている。


人からの紹介を受けない

「この本面白かったよ」やベストセラーというものに興味がない。なぜならその紹介は、他人が主語になっているから。「(紹介者が)この本面白かった(と思っているから紹介する)」であり、(僕以外の大勢が読んでいるから)ベストセラーなのである。他人が感じる"面白い"は、僕の求めているものではない。読むべきときがきたら、本の方から僕を呼ぶ。
ただ、「その本を読んでるならこんなのもあるよ」や購買履歴に基づいたオススメはチェックする。これは僕が主語になっているから。「(bokupuが)その本を読んでいるなら」であり、購買履歴(bokupuが読んだ本)に基づくオススメなのだ。紹介よりもアドバイスに近いから参考にする。しかし、読むかどうかを決めるのはやっぱり直感だ。


読んだ冊数だけで語る

これを読書家がするのは下品だと思っている。
「“読書量”なんて言葉を使ってるヤツはクソ」に近い。読んだ本の冊数だけで読書家を名乗るのはクソだと思っている(読書量+αがあるなら話は別ね)。読んだ本のタイトルを並べて喜びたいなら、活字中毒や趣味というフィールドがある。読んだ冊数や速さを競いたいなら、速読家の方がしっくりくる。本の内容がタイトル程度しか頭に入ってないのに、たくさん読んでるだけで読書家なんて言われるとなんか…さ。まだそんなこと言える立場ではないんですけどね。わかってます。
僕の考える(目指す)読書家とは"読書が人生を豊かにするための手段になっている人"だ。もっと具体的に言うと、本からの情報を自分の中で普遍化(インプット)し、それを生きる知恵として活用(アウトプット)して人生の中に滲み込ませている人。読書から得られる経験を大切にしている人が読書家だと思っている。速さと量は+αの部分になる。
とは言っても、本の読み方に善悪はないから、自分の好きなスタイルで読むのが一番いいというのが僕の結論。でもさ、せっかく言葉とたくさん触れ合っているのだから、名乗り方を工夫した方がカッコイイなと。それだけ。
読書について気が合う・合わないは、本の好みじゃなくて本に対する姿勢と意識かな、と感じるようになってきた。読書が趣味!で年間数百冊読み、タイトルやあらすじ、著者を記憶しているような人はすごいよね。それと、"+α"の部分に速さと量がある人もすごい。



おしまい。

〔読了〕「自分」の壁

「自分」の壁 (新潮新書)

穏やかに諭してくれる本だった。
独自の視点で世間を観察し、結論を出しているのがおもしろい。言葉にしにくくて、なんとなくこうは思うのだけど…というところが言葉になっていてすっきりした。
内容は自己、遺伝子、政治等々と雑多。話の要点までが遠い理由は、結論を導き出すまでの論理が大事、だからかもしれない。


ざっと話の流れ(自分メモ

1章 個性→自分→意識
2章 個性と世間→思想
3章 共生(遺伝子)→共生(自然)→経済成長→議論
4章 エネルギー問題
5章 世間に馴染めない→議論(政治)→日本の思想→人材→異質の受入→自殺問題
6章 絆
7章 ビックピクチャー→政治→変革
8章 意識→我→意識外
9章 情報→メタメッセージ
10章 情報②→楽をしない

話が行ったり来たりするので、マーカー無しの読書だったら音を上げていたと思う。


個性に対するトラウマ的な話(僕の

個性について悩み始めたのは、高校生の頃。校則が厳しいところに入学してしまい、物凄く息苦しかった。どうしてこんなに個を潰しにかかってくるのだろう。疑問に感じたがひたすら我慢した。大人がそうしろと言えば従うおバカとても素直な子だった。
校則以外でも平等とかオールラウンダーが正義で、みんなと同じことが"良い事"だと押し付けられた。
なのに。小論文や面接の練習では「自分で考えろ!自分の言葉で語りなさい!オリジナリティだ!アイデンティティだ!」などと言われて、何が何だかわからなくなってきた。やりたいようにやってみたら「基本に従え!社会性!規則!校則!右ならえ!」と怒られる。面接って何の為にやるんだろう?なかなか上手くいかない僕の個性と学校。大人になるまでの我慢だと言い聞かせた。


個性に対するトラウマ的な話(僕の)②

高校を卒業してからも、個性=自由みたいな言い方をするのに実際はそうじゃなくて、何かこう平均から外れてしまうと、やっぱり「ダメ」と言われちゃう。飽くまでも平均の範囲内でやりなさいって、そこの加減と意味が相変わらずよく分からなかった。
体型とか人見知り、服装とか髪の色、苦手なことと得意なことって全部個性じゃないのかい?って。どこも結局は高校と同じで、息苦しさからは逃れられなかった。
「じゃあ個性って何なの?」と問うてみても、「自分で考えろ!自分の言葉で語りなさい!オリジナリティだ!アイデンティティだ!」どこかで聞いたことがある、この感じ。納得できる答えは返ってこなかった。
そんな僕がこの本に出会った。ぴったりの認知療法を受けたような、固結びが解けたような気分で読み終える。養老さんは「個性って何?」から「個性と世間が馴染まない理由」、さらに「そんな時代の乗り越え方」までを、僕が納得いくまで丁寧に解説してくれた。目からウロコですよ。


個性の流入

日本にはちょっと前まで、個を重視する(個を立たせる)という意識が非常に薄かったらしい。個を重視するというのは西洋から流れてきた思想で、日本人はそれまで逆向きの思想で生活していた。人や自然との繋がり、和を乱さないことを重視していて、そのあとに"個"があった。個を立たせることがそれほど必要ない、そんな文化の中で日本人は生きていた。
日本の教育にはまだ、日本古来の思想(個があとに立つ)が色濃く残っている。一方、社会の方では思想の和洋折衷が起こっていて、あちこちでズレ(ねじれ?歪み?)が生じている状態だ。
思想が自由っていうのは非常に有難いことだけど、新しい思想の受け入れ方を間違った場合、個人の精神を蝕むレベルで混乱が起こってしまう。
混沌とした世代を生きているのだな、と感じた。


そこで養老さんは僕にこう教えてくれる

個性なんてね、出そうとして出すもんじゃないんだよ、と。それよりもまずは世間(学校とか社会)に合わせることをしてみては、と。
え?それって没個性!?今までの努力や苦しみは何だったのか、と驚いた。
読み進めていって気付いたんだけど、僕は個性というものを勘違いしていたんだよね。個性って世間に潰されるものだと思っていた。だから、個性を無理やり自分の中から引っ張り出そうとしたり、世間に突っ張って確立しようとしてた。(これはたぶん、メタメッセージによる思い込み。
養老さんは、君は勘違いしているよ、と言う。世間に合わせようとしても、どうしても合わせられない部分、どうしても他の人と違ってしまう部分、そういうのが個性だよ、と。伝統芸能の例がわかりやすかった。
この説明は僕の中にストンと落ちてきた。ああ、養老さんの言葉をもっと早く聴きたかった。
周りの声や自分の意思がごちゃごちゃになって、個性どころか大元の自分自身がわからなくなってしまっていた。本質を見抜けない僕は、やはりおバカだったのだ。


そんな僕はこれからどうするのか

おバカなりに考えてみたら、おバカなままでいいやという結論に至った。
おバカは僕の個性なのかもしれない。これを極めたら、誰よりも素直な人間になっているかもしれない。そう考えると楽しくなってきた。素直さは思考の収穫と非常に相性が良い。
だけど、本質を見抜けないおバカさはなんとかしなきゃいけないね。学び分野での課題にしよう。これも読書と相性が良いと思う。
個性については、そのうち出てくるでしょう。自然に任せよう。無理に出す必要はない。


壁シリーズ制覇するわ

表紙の言葉を見て、最近の若いモンは!っていう内容の本だったらどうしようと思っていた。少しビビッてた。実際は、最近の若い人は大変だね、その大変な理由は私が思うにね…と僕らに諭しつつ注意喚起する内容。
戦時中の話も興味深かった。昔と今を知識やデータでじゃなくて、実体験で比較できる人の話には説得力がある。ここでは個性についてダラダラ書いちゃったけど、聴けて良かったという話が他にもたくさんあった。
今回も本はマーカーだらけ。本との出会いは不思議に満ちている。



おしまい。


「自分」の壁 (新潮新書)

「自分」の壁 (新潮新書)

〔web読書〕新R25 つぶやきシローの発信論

↓こちらの記事から思考を収穫しました。
r25.jp
R25の記事が好き。記事になっている人の魅力が伝わってくるから。
毎回読みやすく、それでいて発見がある。


マイペース×ストイック

つぶやきシロ―さんは、忙しいのが好きじゃない自分を理解しながらも、芸へのストイックさはそのまま残している。忙しい=できる人みたいな風潮に流されないで、マイペースを選ぶ勇気は天然物なのかな。無理をしないやり方もあるのだと教えてくれる。そういうところから生まれる余裕が、ふんわりした雰囲気を作っているのかもしれない。


小さなことをコツコツの代表だと思う

ツイッターもマイペース(フォロー0)で取り組みつつ、ストイック(10年以上1日1ツイート継続)に熟している。ツイ―ト内容へのこだわり方からはプロ意識が伝わってくる。
キャラ作りも忙しさも無理をしないから、長く(しかも休まず)続けることができるのだろう。


今回も好きになる

つぶやきシローさんのように、マイナス感情(怒り)をプラス感情(笑い)に変えることって、なかなかできることじゃないよね。
僕は新R25の記事に影響されまくっている。つぶやきシローさんのこと、今までよく知らなったけれど、好きになってしまったよ。本も読んでみたいな。


今の僕にできることって?

僕はコンプレックスを、インドアを極める(読書やアート)で活かそうとしている。
孤独を極めれば孤高になれるかもしれない、と思っているし、発信を続けていたら、万が一にも情熱で繋がり合える仲間ができるかもしれない、とも思っている。とにかく発信を続けて、その先の未来に何があるのか見てみたいのだ。近い内に、続けるためのマイルール作りが必要になってくるだろう。
ツイッターをやっていると、周りのペースの速さや熱さにたじろいでしまうことがよくある。けれどマイペース作りの参考対象って過去の自分だよね。そこを絶対に勘違いしてはいけない。他人どうこうじゃなくて、純粋な"自分"が今やれることに、真正面からぶつかりたい。付き纏う不安は日々ベストを尽くすことで解消したい。
僕は僕でやっていこう。



おしまい。

〔引用RT〕ツイッターでの収穫 1/21~1/28

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ルール決め

引用RTは1日1つ以上(ブログ更新日は除く)を目標にした。
新しい発見だったり、共感したり、はっとさせられたりしたツイートに対して、自分のコメントを添えてツイートする。
ブログには一週間くらいのペースでまとめようと思う。


ねらい

いいと思ったツイートを拡散すること、思考の言語化訓練、話しかける勇気を持つ訓練。


引用RT 1/21~1/28


コメントの内容に広さがない

うまく言語化しきれないもどかしさ。思考が単調で広さを感じられない。反応できるツイートの種類が少ないのだ。もっともっと思考を収穫したい
コメントするのに緊張している。訓練を継続して、慣れからの余裕を持ちたい。(本当に訓練になるのかわからないけど、もし上手くいったらいろんな人にこの方法を教えたい。



おしまい。