僕の読書のーと - 思考を収穫せよ! -

能動的な読書。生き方・人生の視点で本を読んでいます。

〔読了〕「自分」の壁

「自分」の壁 (新潮新書)

穏やかに諭してくれる本だった。
独自の視点で世間を観察し、結論を出しているのがおもしろい。言葉にしにくくて、なんとなくこうは思うのだけど…というところが言葉になっていてすっきりした。
内容は自己、遺伝子、政治等々と雑多。話の要点までが遠い理由は、結論を導き出すまでの論理が大事、だからかもしれない。


ざっと話の流れ(自分メモ

1章 個性→自分→意識
2章 個性と世間→思想
3章 共生(遺伝子)→共生(自然)→経済成長→議論
4章 エネルギー問題
5章 世間に馴染めない→議論(政治)→日本の思想→人材→異質の受入→自殺問題
6章 絆
7章 ビックピクチャー→政治→変革
8章 意識→我→意識外
9章 情報→メタメッセージ
10章 情報②→楽をしない

話が行ったり来たりするので、マーカー無しの読書だったら音を上げていたと思う。


個性に対するトラウマ的な話(僕の

個性について悩み始めたのは、高校生の頃。校則が厳しいところに入学してしまい、物凄く息苦しかった。どうしてこんなに個を潰しにかかってくるのだろう。疑問に感じたがひたすら我慢した。大人がそうしろと言えば従うおバカとても素直な子だった。
校則以外でも平等とかオールラウンダーが正義で、みんなと同じことが"良い事"だと押し付けられた。
なのに。小論文や面接の練習では「自分で考えろ!自分の言葉で語りなさい!オリジナリティだ!アイデンティティだ!」などと言われて、何が何だかわからなくなってきた。やりたいようにやってみたら「基本に従え!社会性!規則!校則!右ならえ!」と怒られる。面接って何の為にやるんだろう?なかなか上手くいかない僕の個性と学校。大人になるまでの我慢だと言い聞かせた。


個性に対するトラウマ的な話(僕の)②

高校を卒業してからも、個性=自由みたいな言い方をするのに実際はそうじゃなくて、何かこう平均から外れてしまうと、やっぱり「ダメ」と言われちゃう。飽くまでも平均の範囲内でやりなさいって、そこの加減と意味が相変わらずよく分からなかった。
体型とか人見知り、服装とか髪の色、苦手なことと得意なことって全部個性じゃないのかい?って。どこも結局は高校と同じで、息苦しさからは逃れられなかった。
「じゃあ個性って何なの?」と問うてみても、「自分で考えろ!自分の言葉で語りなさい!オリジナリティだ!アイデンティティだ!」どこかで聞いたことがある、この感じ。納得できる答えは返ってこなかった。
そんな僕がこの本に出会った。ぴったりの認知療法を受けたような、固結びが解けたような気分で読み終える。養老さんは「個性って何?」から「個性と世間が馴染まない理由」、さらに「そんな時代の乗り越え方」までを、僕が納得いくまで丁寧に解説してくれた。目からウロコですよ。


個性の流入

日本にはちょっと前まで、個を重視する(個を立たせる)という意識が非常に薄かったらしい。個を重視するというのは西洋から流れてきた思想で、日本人はそれまで逆向きの思想で生活していた。人や自然との繋がり、和を乱さないことを重視していて、そのあとに"個"があった。個を立たせることがそれほど必要ない、そんな文化の中で日本人は生きていた。
日本の教育にはまだ、日本古来の思想(個があとに立つ)が色濃く残っている。一方、社会の方では思想の和洋折衷が起こっていて、あちこちでズレ(ねじれ?歪み?)が生じている状態だ。
思想が自由っていうのは非常に有難いことだけど、新しい思想の受け入れ方を間違った場合、個人の精神を蝕むレベルで混乱が起こってしまう。
混沌とした世代を生きているのだな、と感じた。


そこで養老さんは僕にこう教えてくれる

個性なんてね、出そうとして出すもんじゃないんだよ、と。それよりもまずは世間(学校とか社会)に合わせることをしてみては、と。
え?それって没個性!?今までの努力や苦しみは何だったのか、と驚いた。
読み進めていって気付いたんだけど、僕は個性というものを勘違いしていたんだよね。個性って世間に潰されるものだと思っていた。だから、個性を無理やり自分の中から引っ張り出そうとしたり、世間に突っ張って確立しようとしてた。(これはたぶん、メタメッセージによる思い込み。
養老さんは、君は勘違いしているよ、と言う。世間に合わせようとしても、どうしても合わせられない部分、どうしても他の人と違ってしまう部分、そういうのが個性だよ、と。伝統芸能の例がわかりやすかった。
この説明は僕の中にストンと落ちてきた。ああ、養老さんの言葉をもっと早く聴きたかった。
周りの声や自分の意思がごちゃごちゃになって、個性どころか大元の自分自身がわからなくなってしまっていた。本質を見抜けない僕は、やはりおバカだったのだ。


そんな僕はこれからどうするのか

おバカなりに考えてみたら、おバカなままでいいやという結論に至った。
おバカは僕の個性なのかもしれない。これを極めたら、誰よりも素直な人間になっているかもしれない。そう考えると楽しくなってきた。素直さは思考の収穫と非常に相性が良い。
だけど、本質を見抜けないおバカさはなんとかしなきゃいけないね。学び分野での課題にしよう。これも読書と相性が良いと思う。
個性については、そのうち出てくるでしょう。自然に任せよう。無理に出す必要はない。


壁シリーズ制覇するわ

表紙の言葉を見て、最近の若いモンは!っていう内容の本だったらどうしようと思っていた。少しビビッてた。実際は、最近の若い人は大変だね、その大変な理由は私が思うにね…と僕らに諭しつつ注意喚起する内容。
戦時中の話も興味深かった。昔と今を知識やデータでじゃなくて、実体験で比較できる人の話には説得力がある。ここでは個性についてダラダラ書いちゃったけど、聴けて良かったという話が他にもたくさんあった。
今回も本はマーカーだらけ。本との出会いは不思議に満ちている。



おしまい。


「自分」の壁 (新潮新書)

「自分」の壁 (新潮新書)